畑での歓談

畑での歓談小雨になった時に、台風の影響があるかどうか、心配していた畑を観に行きました。苗は倒れておらず、作物が順調に育っていたこともあり、今日はオクラの葉に座っているアマガエルや、秋の訪れを感じさせてくれる秋桜の蜜を吸うミツバチなどの生き物に、目を奪われました。畑で写真を撮っていると、大好きなお隣りのお母さんに声を掛けられ、しばし歓談。この土地で育ち、子どもの頃から家の農業を手伝い、87歳になられた今でも毎日、畑の手入れをさっさとしているお母さんの言葉は、雑談であってもいつも重みがあります。それは体験を伴った言葉だからです。畑での歓談鈴木大拙著「東洋の心」には、「西洋の人は、二元的な立場から分析的、論理的、抽象化が得意であるけれど、日本人の物の考え方は具体的であり、生き方は生活的、生命的になる」という趣旨が書かれていますが、このお母さんと話をしていると、その意味がよく分かる気がするのです。

「ジャガイモ収穫後の畝に何を育てるか」という話題になり、僕は大根を作りたいという話から、お母さんが言われた言葉が印象に残りました。

「時代が変わったから仕方ないだども、若い人達は何でもスーパーに行けばいいと思っておる。わざわざ大根を家で作ろうとしないんさ。利口だすけ。」

大地と切っても切れない人生を歩まれてきたお母さんには、信じられないことなのでしょう。

この話を聴いている間、いろんな思いが去来しました。先日、地元の小学校の先生が言われた「この辺りには仕事がないので、お母さん達は市街地まで勤めに出 ているために、夜遅くに帰ってくるんです」ということ、金融機関の方が言われた「中山間地域が何とか農業が成り立っているのは政府から補助金が出ているか らなんですが、自民党の政策により、2年後にはその補助金が出なくなるので、大変なことになると思うんです」ということ、農業社会学者が言及した「戦後の 農業政策は、アメリカなどの大規模農業を基準としたことが間違いだった」ということなどなど・・・。

上手く言葉になりませんが、今の社会に対し「何かが違う」という感覚になります。大地とともに生きてこられたこのお母さんが言われること、感じていることはとても貴重だと感じるので、機会あるごとに伺い、自問自答したいと思います。 畑での歓談

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