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新年を迎えて
- 2015/1/1
- リズムセラピー研究所, 越後奥寂庵
皆さまにとりましてこの1年が、自分のリズムを尊重し、自己が求める方向に着実に歩みを進めることができますよう、心より願っています。
昨年末から元旦にかけて、鈴木大拙著「日本的霊性」を読み返し、五木寛之著「親鸞(完結編)」を読んでいたこともありますが、昨年12月から「霊性」ということに意識が向きました。今までも意識は向けていましたが、特に2015年からは、すべての活動において「霊性」ということにより意識を向け、少しずつその歩みを進めることができればと、元旦に決めました。特に日本人としてこの現代に生まれたことにも何らか意味があるとし、日本人にっての霊性(大地を通した霊性)を深めていきたい所存です。
「霊性(Spirituality)」という言葉には東西を通して様々な定義がありますが、私自身にとっては、鈴木大拙氏が「日本的霊性」のなかで述べられた説明は自分にとって納得のいくものでした。
「我らは花を紅と見る、柳を緑と見る、水を冷たく、湯を熱いと感ずる。これらは我らの感性のはたらきである。人間はこれだけではすまないで、紅い花は美しいと言う、冷たい水は清々すると言う。これは人間の情性である。感性の世界がそれぞれに価値づけられる。またその上に美しいものが欲しい、清々するが好ましいということがある。客観的に、そのものから我が身を離して、それを価値づけるのではなくて、それを我が手に収めようとするのである。これは意欲である。さきの価値づける意欲の故であるということもできるが、とにかく情性と意欲とを分けて考えておくと便利なことがある。それからこんなにさまざまのはたらきを分けて離すはたらきを知性と言っておく。これらの諸方面の研究は心理学者のやるところである。霊性は、上記四種の心的作用だけでは説明できぬはたらきにつける名である。水の冷たさや花の紅さを、その真実性において感受させるはたらきがそれである。紅さは美しい、冷たさは清々しいと言う、その純真のところにおいて、その価値を認めるはたらきがそれである。美しいものが欲しい、清々しいものが好ましいという意欲を、個己の上に動かさないで、かえってこれを超個己の一人の上に帰せしめるはたらきがそれである。」(鈴木大拙著「日本的霊性」より抜粋)
正月中、さらに本を読み、具体的な方向性を模索したいと思っています。