人生の大先輩

人生の大先輩8年前、私にとっての第一村人となった、大好きなお隣りのお母さんです。最初にお会いした時、目の輝きと笑顔に魅せられ、お会いするたびに何気ない一言にハッとさせられるお母さんです。今回、有難いことに写真を撮らせて頂くことができました。

先日、昨年までお母さんが手がけてきた畑を、この春から私が受け継ぐことになり、挨拶に伺いました。そうしたら「お前さんは仕事がはえぇな。小さい頃から畑をしているのか。ちゃんと畑をしてくれるから、仏は喜んでいるぞ。そうだ、山ウドを持っていくかぃ。俺が山から持ってきた山ウドがたくさん育っているから、何本でも持っていって植えな」と言われ、斜面を軽々と下りて案内してくださいました。

大好きなお母さん山ウドを掘り出しながら話を聴いていて、印象的な言葉が幾つもありましたが、そのうちの一つを紹介します。

「俺は子供の時分から百姓しかしていないバカだから。でもな、女なのに山おやじ(田圃のかしら)を任されたり何でもやってきた。息子らからは、もうやらんでもいいと言われるが、88歳になった今でも畑でも田圃でも毎日やっている。それだけ頑丈なからだがあることは親に感謝だな。若い人達は畑を全くしない。バカにしかできないんだよ、こういうことは。利口ではできない。」

お母さんの表情、エネルギーの強さから決して自分をさげすんでいるのではないことは明白でした。私はお母さんの領域には全然達しませんが、それでも農作業をしていると、意識状態が都会に居る時とは異なりますから、お母さんが言うことの片鱗を感じることはできます。

大好きなお母さんお母さんの言葉を聞いて、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出しましたし、越後の地で、人生のある時期を過ごした親鸞聖人と良寛さまがそれぞれご自身を「愚禿」「大愚」と名乗っていたことも思い出しました。

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