農家になりました

農家になりました2月末に、農業委員会の審議の結果、認可が下りて「農家」になり、先週、今まで仮登記だった農地を本登記にしました。

農家になれたのは、今まで耕作してきたことが認められたということはありますが、何よりも地元の方々が優しく懐が深く、私自身と私の活動を受け入れてくださったことが大きかったです。このように優しさが溢れる里山を大切にしたい、そのために自分ができることはしたいという気持ちです。今年は今まで耕作していた畑で野菜、ハーブ、大豆を作るとともに、今回手に入れた休耕地を再生します。まずは茅の抜根からスタートです。

人生とは分からないものです。まさか私が農家になるとは夢にも思いませんでしたから。ツアードラマー、出版社社員、ボディワーカー、ボディサイコセラピスト、ヘルスリズムスのファシリテーター、セラピスト養成トレーナー、そして農家・・・。職歴ということでは何の脈絡もなく見えますが、私の内面には、その都度自分の心が惹かれ、情熱を持ったことをしてきたという一貫性があります。そしてそれは積み重なり、今の自分を作っているという思いもあります。

セラピストはもちろん続けます。と言いますか、セラピストなるものを探求してきた結果、農家になったとも言えます。私は30年前より心身相関に興味を持ち、体験を伴った学びを続けてきました。セラピストには理論や技法を習得するのはもちろん大切ですし、それを身に付けるためには自己を見つめていく過程が必須となります。なぜ自己を見つめることが大切かと言いますと、自分を受容した分しか他者を受容できないからです。そういう意味で「如何に自分という器を広げていくか」ということがここ20年、意識を向けてきたことでした。その過程で、抑圧してきた感情や記憶を受容し、表現することによって少しずつ防衛的な自我を手放し、以前よりは柔軟で本質(コア)との親和性が高い自我に徐々に再構築していったと思っています。

その反面、どうしようもない側面、これだけ向き合ってきても変わらない側面というのもあり、自力ではどうしようもないことから「他力」というものにより意識が向くようにもなっていきました。自我というもものの限界を自分自身の内的プロセスのなかで感じると同時に、無限に誇大化していく自我による紛争や闘争からも、自我を手放していくプロセスにより興味を移しました。それは、西洋的手法を日本に統合しようとしてきた私の興味とも合致し、「場の思想」に辿り着き、その思想を生きようとして実感したのが「身土不二」というものでした。私たちの「個のいのち」と「場」は、「身土不二」と言われるように主客非分離な関係であり、場に自分を与贈し、大地(自然)と身体が一つのものとして感じられるまで大地に身を委ねることができた時に、死の恐怖という本能的で根源的な恐怖と緊張が溶け、身体を実感すればするほど身体という束縛から自由になり場に包まれると、ここ数年自然のなかで感じてきました。ケン・ウィルバーが「意識のスペクトル」で言うところのケンタウロスの領域から、有機体と環境の無境界に意識が向き出したのかも知れません。

その感覚をより深めるために、親鸞聖人が霊性を深めたとされる越後の大地に自分も身を置き、越後という「場のいのち」に自分をもっと明け渡してみたいと思ったのです。私自身の魂が望んでいる道でもありますし、そのような在り方からセラピストとして人をサポートしたいのです。

また、私だけが行うというより、このような在り方に興味を持つ方々にもぜひ、体験して頂きたいという想いもありますから、私の活動に興味のある方々に越後奥寂庵で宿泊と食事を提供しながら、農作業、自然散策、ドラミング、瞑想などの体験ができるように、設備を整え、スタッフ達と打ち合わせを繰り返し、5月には法的認可を得て、少しずつ活動を始めていく予定です。ぜひとも一緒に土に触れ、身体を動かし、リズムを奏で、静寂を感じ、自分の在り方を見出していきましょう。

コンセプトは、下記サイトの「いのちのいとなみワークス」をお読みください。

https://niyekawa.com/activities.html

理屈抜きに自然に囲まれた田畑で身体を動かし、土に触れることは理由もなく魂が喜ぶのです。そして疲れた身体で夕陽が沈むのを観る時、ただそこに立っているだけで幸せを感じます。それがもうすぐ始まると思うとワクワクします。

法的認可が得られ次第、宿泊と食事のサービスについて情報をアップしていきます。

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