草刈りで想うこと
- 2014/8/20
- 越後奥寂庵
草刈りをしていると、植物の生命力の強さを実感します。もし人類が滅びることがあっても植物は生き残るだろうと思うのです。なぜそう思ったかというと、刈払いで地面に出ている茎から上を切り落としても、また来た時には見事に再生しているからです。
茎を切り落としても、根は残っています。目に見えないところでしっかりと大地と繋がっている。それが生命力の源となっているのです。大地から切り離された茎や葉は1時間もすれば萎れてしまい、数時間で色も変わりますから、いのちにとって如何に大地と繋がっているかが大事かが分かります。
それは私たち人間にも言えることではないでしょうか。植物のように物理的に大地に根を下ろすことはできませんが、エネルギー的には降ろすことは可能です。人生、過ちや失敗はあるものです。たとえ、目に見える形で孤立無援となったとしても、大地に根づいていれば、見えないところで再生を始めることができるのです。
都市部に居ると、電車の人身事故の多さに驚きます。そこまで辛い思いをされて行動化してしまうことに胸が痛みます。もし大地に根づくことが出来ていれば、再生が可能だったかもしれないと思うと、根づくことの大切さに気づく機会が必要だという気持ちになります。
根づくことは目に見えません。他の人からもそのプロセスは分かりにくいかもしれません。顕著に見える形での成長もありますが、目に見えないところで進む成長もあるのだと、草刈りをしていて思いました。
写真は、刈払いをしていて見つけたホオズキです。子どもの頃はホオズキでよく遊んだものです。