越後奥寂庵での日常
- 2015/8/8
- 越後奥寂庵
現在、越後奥寂庵では原野化した農地を再生する作業を行っています。まずは刈払機で草刈りをして、刈った草をまとめました。その後は耕耘機の出番。ヨモギ、カヤ、タラの木など強力な根を持つ植物が蔓延っているので重労働ですが、以前、トラクターで耕して貰ったこともあり、思った以上に耕耘機でも耕すことができました。それでも粘土質の土壌に根が蔓延っていますから根切りのために何度も深さを変えて耕したため、時間は掛かりました。土と向き合う時間は思う通りには進まないものです。夕方になって石灰を捲き、なんとか今回の目標を達成することができました。お盆過ぎに元肥を鋤き込んでマルチを掛ける予定で、取り敢えず今年は雪が降る前に収穫できる大根を作ろうかと思案中です。輪作のことを含め、栽培計画に悩むのも楽しみの一つです。順調に収穫ができたら東京サテライトオフィスで、個人セッションに来られるクライアントさんにお分けするのもいいかもしれません。不耕起栽培にも憧れますが、これだけ原野化している農地はまずは耕耘機に頼ります。
朝夕、地元の方が入れ替わり立ち替わり、訪れてくださいます。「贄川さ〜ん、ジャガイモ、掘ってきたから喰いな」、「キュウリ、採れすぎたから食べてくれねぇかねぇ」「これ、やるよ、喰いね」・・・。有難いことです。こちらがその場所にエネルギーを注ぎ、心を開くと、その場所から即座に返ってきます。特にそれは農村地帯に居ると顕著に分かります。観光地化されていない農村地帯に建つ再生古民家を手に入れ、西洋から学んできたものを日本に統合しようと試行錯誤している時に、とても役に立っているのが場の研究所所長 清水博先生の「場の思想」です。清水先生の表現で言うところの「二重の<いのち>の相互誘導合致」を直に体験させて頂いています。農作業の休憩中、扇風機に当たりながら清水先生ご著書「<いのち>の普遍学」を読んでいます。先生が問われていることが、その場に居ると身体で分かってきます。
翌朝、洗濯をしていると玄関から声が聞こえ、玄関に出るとお隣りのお婆さんが笑顔で立っていました。「きゅうり、また貰ってくれるかの」と、大きなキュウリを数本、差し出されました。「嬉しいです。いつもありがとうございます。今晩、東京に出て行くので、余ったら友人に渡しますね」と伝えると「また帰ってくるかね」とお婆さん。「お盆前に帰ってきますから」と伝えると「帰ってくるんならよかった」と満面の笑顔で応えてくださいました。7年前にお隣りさんにご挨拶に伺った時に、最初に出てこられたのがこのお婆さんでした。私にとっての「第一村人」なのです。その時の印象が忘れられません。というのも、心からの笑顔と澄んだエネルギーによって輝く目が素晴らしかったからです。今朝のお婆さんも変わらない笑顔とエネルギーでした。
ここに滞在していると、自然のリズムで生きることの素晴らしさを実感します。朝6時には軽トラが走り回り、日中は身体を動かしての農作業。夜早くには、家の照明は消えています。そして、畑で採れた新鮮な野菜を食べ、心を通じ合う関係性が色を添えてくれます。誤解して頂きたくないのは、ここを桃源郷のように理想化している訳ではありません。以前、上越市で引きこもり親の会の支援をさせて頂いた時にも感じましたが、農村部には都市部にはない農村部なりの課題があるのも感じています。ただ、ここでお伝えしたいことは、このような自然のリズムで生き、そのなかで心を通じ合う関係性があるというのは、セロトニン活性には絶好の環境だということです。都会ではセロトニン欠乏からの抑うつ、パニック障害などが蔓延していますから、ここでの生活を都会の生活に上手く編集していけるといいと思いました。また、都会では「身体を通した実感」が希薄になりがちですが、ここではそれが感じられるのも得難いことです。