今日は、山に柴刈りに行ってきました。と言っても、クルマで林道を走らせ、薪への火着け用の小枝を集めるだけですから、殆ど労力は必要ありません。
あっという間に年末分の小枝が集まりました。これでひと安心です。
今日の里山の風景です。このような何気ない風景であっても、私たちの琴線に触れます。それは何故でしょう。自然と共生してきた先人達の知恵と心のありように、私たちの心が共振するからではないでしょうか。それは私たちの意識で理解できるようなものではなく、心の深層で何かを感じるのです。意識の表面であればあるほど時間的にも空間的にも限定されたものになり、深層になればなるほど時間的にも空間的にも普遍のものになります。このような里山の風景には、普遍的なものがあるように思います。例えば、このススキは、もう枯れ果てていますが、枯れてもなお、美しさを放っています。自然の近くでは生と死の境界が曖昧です。そこから学ぶことは私たちが思っている以上に大きいように思います。
最近は、15時30分には日が山に沈みます。日が沈むと「釣瓶落とし」で、あっという間に夜の帳が下りてきます。山麓に住むというのは、こういうことです。実際に住んでみるまでは、分からないことでした。でもそれは、決してマイナスの要素ではありません。
飛行機雲が山頂に向かって伸びています。
17時15分で、すでに深夜の空気感です。月が神秘的に輝いています。