危険を察知する能力
- 2019/1/27
- 越後奥寂庵
昼までに玄関側の雪掘りを大方終え、午後、かんじきを履いて、新雪が積もっている裏側の雪の状態を観に行きました。
昼間になって気温が上がり、凍っていた雪が崩れやすくなっていることから、裏側に除雪機を回すことをためらいました。しかも屋根から繋がっている雪を掘っていくと屋根から雪が一気に落ちてくる可能性が高く、一人で除雪機だけで作業するにはリスクがありすぎると判断し、除雪を諦めました。雪の下側は氷になってかなり重く、この雪に埋まってしまったら身動きが取れなくなるでしょうし、右下は沢になっているので、沢まで除雪機ごと落とされたら命を失いかねません。まず、屋根に登って屋根の雪を下ろし、その後、ユンボで少しずつ凍った雪を掻いていくしかないでしょう。ただ、屋根は雪を滑らすためのトタン屋根ですから滑りやすく、それも危険です。いずれにしても一人では無理です。
今まで、柔らかくなった雪のために除雪機が傾き、そこから抜け出すまで1時間掛かったことや、屋根からの雪を被って除雪機が埋まったこと、夜中吹雪のなかで自動車のワイパーが壊れて立ち往生し、遭難しかけたことなど危険な体験をしてきましたが、そのような体験を重ねる毎に危険を察知する感覚が鋭敏になり、用心深くなりました。そのような時は、五感をフルに使って、目の前の自然と対話しているような感覚になります。動物的な感覚が呼び覚まされるとも言えましょう。
自然のなかで、小さな「痛い目」を繰り返すことで、目の前の自然との対話を通して危険を察知する能力が育まれるように思います。鈴木大拙氏は、「大地は人間にとりて大教育者である」と表現されましたが、本当にそう思います。もちろん危険のみならず、いのちの芽吹きや輝きを察知する能力も育まれます。そういう意味では春が待ち遠しいです。
下の写真は、春に撮影したものです。この写真と比べると積雪がどれだけあるかが分かります。