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越後奥寂庵

Inner Silence Hermitage

越後奥寂庵について

なぜ越後なのでしょう

越後という大地に魅せられて

信州の過疎村での住まいが、築200年の古民家だったこともありますが、今まで学んできた海外の理論と技法を日本のものとして統合し、日本の霊性を味わうためには、なるべく西洋化や観光地化がされていない、日本人にとっての原風景と古民家が適切だと思い、探し回りました。特に信州では様々な山間の村に赴きました。信州はアルプスを望む、素晴らしい地域ではありますが、場所は素晴らしくても良い古民家がなかったり、古民家は素晴らしいのに場所のエネルギーが相応しくなかったりと、残念ながら良い出合いがありませんでした。

いろいろな古民家を観ているうちに、古民家は、日本人の自我構造と霊性を現しているものだということがより分かり始めました。縁側、土間、上がり框、大黒柱、敷居、襖、障子、間、囲炉裏、上座敷、奥座敷、床の間、離れなどから、日本人の本質が浮かび上がってきます。古民家のなかでも、とりわけ越後の古民家は、豪雪に耐えうるように柱や梁には太い木が使われ、天井が高く、とても素晴らしいものでした。そのような越後の古民家に、徐々に惹かれるようになりました。

越後には日本人の霊性に深く影響を与えている偉人達が住んでいたことも、越後を選んだ大きな理由です。直江津には浄土真宗の親鸞上人、飯山には臨済宗の白隠禅師、佐渡には日蓮宗の日蓮聖人、出雲崎には曹洞宗の良寛さま、そして同じく直江津には真言宗の僧侶でもあった聖将上杉謙信公が居ました。彼らには「既成の組織や規則に捕われず、自分の内奥に従って生き、この地で自己を深めた」という共通点があります。そのような「自己」であることを受容してくれる「大地性」がこの地にはあるのです。

この「大地性」は、縄文時代から受け継がれたものかもしれません。事実、この地では縄文土器が多く出土されています。

縄文文化は、日本人の霊性を感じるためには、なくてはならないものです。なぜなら縄文時代は、弥生時代から現代までの期間に比べ、約100倍もの時を経てきたのですから、現代に生きている私たちの生体に影響がない訳がありません。

越後の「大地性」については、仏教学者の鈴木大拙氏が「日本的霊性」のなかで述べていますし、縄文文化の影響については、哲学者の梅原猛氏が「日本の霊性ー越後・佐渡を歩く」(新潮文庫)のなかで述べていますので、興味のある方は、本をお読みください。

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