日本的霊性について 日本的霊性とは 鈴木大拙著「日本的霊性」 世界に禅を知らしめた著名な仏教学者、鈴木大拙氏のご著書に「日本的霊性」があります。このご著書に深く突き動かされたことから、日本的霊性に意識を向けることが混沌とした現代において重要だと思い、宗教的な用語を使用することで誤解されるリスクがありながらも、使わせて頂いています。 鈴木大拙氏は、ご著書のなかで、日本的霊性が目覚めたのは鎌倉時代だと述べています。その以前の平安時代まではまだ目覚めておらず、大地に降りたことにより日本的霊性が目覚めたとしています。現代はある意味、平安時代と似ているように感じており、今の混沌とした不安な世の中を生き抜くために、大地に根を張ることで深化する日本的霊性は、無くてはならないものになると思うのです。 ご興味のある方は、日本的霊性(岩波文庫)を読まれることをお勧めします。 ご著書のなかでは、親鸞聖人が越後の大地で過ごした数年間を重視しています。実際、越後に滞在していますと、大地の存在感に圧倒されるとともに場に包まれる感覚を覚えます。ぜひお越し頂き、この感覚を体験して頂きたいと思っています。 霊性とは さて、鈴木大拙氏は「霊性とは、精神の奥に潜在しているはたらき」と述べていますが、それはどのようなはたらきなのでしょう。以下の具体的な記述がありますので、引用します。 我らは花を紅と見る、柳を緑と見る、水を冷たく、湯を熱いと感ずる。これは我らの感性のはたらきである。人間はこれだけではすまないで、紅い花は美しいと言う、冷たい水は清々すると言う。これは人間の情性である。感性の世界がそれぞれに価値づけられる。またその上に美しいものが欲しい、清々するが好ましいということがある。客観的に、そのものから我が身を離して、それを価値づけるのでなくて、それを我が手に収めようとするのである。これは意欲である。さきの価値づける意欲の故であるということもできるが、とにかく情性と意欲とを分けて考えておくと便利なことがある。それからこんなにさまざまのはたらきを分けて話すはたらきを知性と言っておく。これらの諸方面の研究は心理学者のやるところである。またここで言っただけでも、もっと精して話さなければならぬと思う点もあるが、今はこれを省いて霊性へと急ぐ。 霊性は、上記四種の心的作用だけでは説明できぬはたらきにつける名である。水の冷たさや花の紅さを、その真実性において感受させるはたらきがそれである。紅さは美しい、冷たさは清々しいと言う、その純真のところにおいて、その価値を認めるはたらきがそれである。美しいものが欲しい、清々しいものが好ましいという意欲を、個己の上に動かさないで、かえってこれを超個己の一人の上に帰せしめるはたらきがそれである。(P.114) 大地とのかかわり 以下のページに、「日本的霊性(岩波新書)」の引用を掲載しました。文体が古く読みにくい文章ではありますが、お読み頂けたら幸いです。 大地性 日本的霊性と大地