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記事・論文
神経症に関するバイオダイナミックの理論
ゲルダ・ボイスン、モナリザ・ボイスン
ⓒH.Petzold :英語改訂版
1978年Die Neuen Korpertherapien
(新しいボディサイコセラピー)
ゲルダ・ボイスン:1922年、ノルウェー生まれ
オスロ大学で心理学を学ぶ、オスロ整形外科大学で理学療法士の資格を取得。オスロにあるブロー・ハンセン研究所で研修後心理療法家としてクリニックを開業。1968年ロンドンでバイオエネルギー研究センターを創設。後にこれをボイスン・バイオダイナミック心理学研究所と改名。
モナリザ・ボイスン:1945年ノルウェー生まれ,ゲルダの二女
母ゲルダ・ボイスンにつてスーパービジョンを受け、バイオダイナミックスのセラピスト、トレーナーとして働き、ボイスン・バイオダイナミック心理学研究所の理事とコンサルタントをしている。1978年に他の理事と協力してバイオダイナミック心理学国際財団を設立し、トレーニングプロジェクトの作成に尽力している。
要約:心理的腸蠕動はゲルダ・ボイスンの情動(エモーション)理論の中心的概念です。本論文ではウイルヘルム・ライヒの発見したバイオエネルギーが、腸という臓器で調整され、発生しているという仮説を検証します。心理的腸蠕動がからだ自身の持つ情動を自己調整(セルフレギュレーション)する方法であるという仮説です。
初めに
シグムンド・フロイトが抑圧された情動内容を無意識のなかで探る偉業を果たして以来、葛藤の兆候(マニフェステーション)がどこで発生するかが問われ続けています。中枢神経に源があると考えるのが一般的見解です。研究はすべて神経症の形成に影響する方法を見つけることに向けられてきました。フロイト自身、精神分析の自由連想法で精神(プシケー)にコンタクトを取ることにより、この現象を解明しました。しかし同時に無意識の抑圧が、生理学と心理学の間にある無人地帯、つまり未知の領域であるとも言っています。さらにフロイトは生命体自身に目を向け、内臓へのアプローチで神経症の原因と治療法を探そうとしない限り、これからの分析は失敗に終わるとさえほのめかしています。彼はこのアプローチを一種のオルゴノ(生命体)セラピーと呼んでいました。
フロイトの時代から心身医学や実験心理学の発見によりこのギャップは大いに埋まってきました。しかし最も大きなリンクは、性格分析によるライヒの研究成果です。性格分析の中でライヒは情動表現と精神病理の自律神経的、バイオエネルギー的側面に焦点を当てました。
筋肉と内臓の鎧
ライヒの筋肉の鎧理論によれば、情動の表現は骨格筋の慢性的な緊張の中に抑え込まれており、この鎧の中に閉じ込められている人は、それに伴う神経症的性格行動のパターンを示すと言います。セラピーの中で筋肉の鎧を解いていくと、人は自発的により健康で、真の人格へと変化を遂げます。
臨床研究の中でライヒはまた、内臓と(植物)自律神経への興味を高めました。そこから彼は「ベジェトセラピー(植物神経療法、自律神経療法)を生み出します。
施術の間にクライアントが見せる(植物)自律神経の反応を観察する中で発展させてきたバイオダイナミック心理学とセラピーは、さらに内臓への関心を深めました。その新たな貢献は、未解決の葛藤が内臓内に潜在的な力動の圧(プレッシャー)として固着するという仮説を立てたことです。この内臓圧は(植物)自律神経と浸透圧の障害をうみます。神経症をこのようにみれば、自律神経系の葛藤と言え、そこから心身症の症状も理解する道が開けます。
バイオダイナミックの理論では情動的に興奮した時に内臓に存在する緊張は、衝動が抑制されるときに限り、一時的(暫定的)な緊張、あるいはプレッシャーになる可能性を持つと仮定します。生命体はからだの深部に情動をむりやり押し戻す時には、内臓圧の中性化(中和、ニュートラライゼーション)にも影響するはずです。トラウマや神経症を生み出す状況では(植物)自律神経の抑圧が慢性化し、そこから内臓の鎧が生まれます。この内臓の鎧の内部では、停止した情動と(植物)自律神経の内奥が、体の深部にダイナミックな潜在力としてとらえられており、防衛がなくなれば外に飛び出そうと準備してかまえているのです。精神病理の背後にあるのはこの内臓のダイナミズム(フロイトのイドを参照)です。というのは防衛が壊れると病理が活性化するからです。そうなると無意識が生命体の中に侵入します。フロイト流にいえば、イドが自我に影響して、神経症が姿を現す、となります。いわゆる抵抗のメカニズムである鎧化は、生命体が(植物)自律神経のチャージを中和し、内的なプレッシャーや苦痛を避けるための妥協です。そこでバイオダイナミック・セラピーではテクニックを体系的に用い内臓の鎧を少しずつ押し上げ、イドの影響を最小に抑え、自我が病理ではなく、ヒーリングのプロセスに参加できる手助けをします。
消化管:情動の管
私は自分の研究と臨床経験から、まったく思いがけないところで内臓の鎧を消化管と関連付け、その消化管が神経の緊張を調整し、放出する解決のメカニズムであると同時に本能と感情のエネルギーの導体として働いているとみなすようになりました。消化管は胎生学的にはもっとも初期の層に属しているので、本能的で原初的なエネルギーや衝動がこの消化管をとおして伝達されると考えても、それほど突飛な考えではないように見えました。実を言えば、これを理論化することに抵抗していました。しかし自分自身のセラピーのプロセスと同時にクライアントとの臨床経験が常に消化管に対して重要な反応しめすので、心理力動(サイコダイナミックス)を生物学と進化の角度からみるようになりました。
哺乳類からより原始的な生物の体構造をたどれば、驚くほどの類似点が一つありまし。それは口から肛門までからだの真ん中を通っている消化管の形です。管として発達して食物の摂取、消化、老廃物の排せつをしているミミズを考えてください、ミミズでは消化管という臓器が生存のプロセスをつかさどっています。消化活動のなかではからだのエネルギーは内側に向きます。緊急事態では、体のエネルギーは外に向かい、のどや口、より高等動物では爪をもった前足などの上半身にエネルギーが集中します。これはかみつく、つかむあるいは自分の生存を脅かすものを飲み込むことで攻撃するためです。この活動は内向き(副交感神経)、外向き(交感神経)のどちらも、まずは内臓のエネルギーです。
私の論点は、このことが消化管をとおしての静かな消化のプロセス、緊急状況の活動、情動的な状態のすべてにおいて、人間にも当てはまるのではないかということです。そこで私は消化管を情動の管と呼んでいます。ここが抑圧された衝動と本能的な欲動(ドライブ)をメインに貯蔵しそれをとおす場所です。これはフロイドの概念ではイドに相当します。ですからここを太陽神経叢、仙骨神経叢とともにイドの経路、感情の臓器と呼ぶこともできます。自律神経の葛藤はまさにこの管で起きていると私は信じています。精神分析的にいえば、それはイドと自我の間の葛藤ともいえるでしょう。
神経症の形成
神経症が体の深部でどのように形成されるかをバイオダイナミック(身体力動)の観点から説明しましょう。このプロセスは、最初体験から見察され、つぎに現象学的な見地から出たものである点を強調しておきます。ずっと後になって初めて、神経生理学からの裏付けを見つけて、具体的な理論として形成しました。
葛藤と情動的な脳の調整は内胚葉、中胚葉という最も原初的な層で起きます。内胚葉は自律神経が支配する平滑筋から、中胚葉は中枢神経支配の横紋筋からなっています。ここでもまた葛藤形成のプロセスを明確に見ることができます。興奮状態の間は二つの層の間で協力関係が取られますが、両方の層が対立すると葛藤がうまれます。反対する力がなければ葛藤が発生することはないからです。イドの衝動表現がなければ、自我の中にそれに対抗する性格が生まれないのと同じです。
人の情動のチャージ、エネルギーについて考えてみましょう。このチャージは内臓で発生集中し、消化管と結合神経叢、腺を通って、のどや顔に流れ、感情の表現と放出が起きます。この興奮の波が純粋に自律神経と本能的であれば、感情にかかわる不随意の衝動と随意的な反応システムという二つの異なる力が同時に働いています。内臓の反応を指揮する自律神経と筋骨格と意識のコントロールを指揮する中枢神経系です。衝動が制限されるあるいは望ましいものでないときには、随意筋のコントロールが働き、衝動を抑え込みます。そこから骨と筋肉の鎧が生まれ、感情が筋肉の中に「フリーズ(凍結)」状態でため込まれます。内臓の鎧化はもう少し複雑な経過をたどります。しかしここでもまた、もう少し偽装した形で二つの神経系が同じようにかかわっています。
当初私は、対立する衝動がともに平滑筋の中で発生する必要があれば、どのように消化管で葛藤が発生するのか、当惑していました。直接コントロールする相手がいないと考えていたからです。その時私は、ノルウエーの神経生理学者、セテクリーブ博士の発見から、平滑筋に二つの神経支配形態の筋肉グループがあることを知りました。自律神経のコントロールで興奮する単一神経グループと、中枢神経のコントロールからの神経刺激に反応する複合筋肉グループの存在です。
複合筋肉グループは運動神経の刺激により機械的に収縮し、横紋筋の神経支配に似た支配を受けています。単一グループの自律神経の自発的反応は、複合筋肉グループからの運動収縮によって抵抗し、制限することができます。生理的、解剖学的に、内臓に葛藤が生じる可能性は、まさに内臓にあるこの二つのシステムの間での対立です。これについての詳細はまたの機会に譲ります。
生理的、心理的に情動が抑圧されるには他にも多くの要素が関連しています。血管運動、心臓血管活動、呼吸、内分泌器官全てがそれに当たります。これらはすべて抑圧のプロセス、中性化のプロセス、鎧と防衛を解決する際の再活性化のプロセスに関連しています。神経症の有機体におけるコアと私がみなしているものを紹介する目的で、内臓の葛藤を詳しく説明してきました。
しかし私が消化管に興味を集中した理由は内臓の葛藤ではなく、腸の蠕動にある調整、解消、解除活動でした。この活動を私は心理的腸蠕動運動と名付け、神経症を「消化」し生命体のエネルギーバランスを取る能力により、神経性のエネルギーを放出するメインの調整役だと考えています。これは私に臨床ワークと自分自身の分析トレーニングを通じての長く複雑なプロセスの結果です。研究結果から生まれた方法は施術、自己調整(セルフレギュレーション)の両方で、内臓の鎧に直接アプローチする最も重要なツールになりました。
私の現在の見解と心理療法の方法を紹介するにあたり、「心理腸蠕動」という現象を見つけた状況について詳しく話すことが大切です。その際、「バイオダイナミック心理学」と呼んでいるセラピーを生み出すもとになった方法と職業について自伝を交えて話してみます。
筋肉の鎧へのアプローチ
オスロ大学で心理学を学んでいる時にたまたま故オーラ・ラクニーズ博士の講義を受ける機会がありました。彼の話に興味をもったので私は、彼から分析を受けることにしました。オーラ・ラクニーズはノルウェーの優れたベジェトセラピスト(ライヒ派のセラピーの一つで、主に自律神経を扱う)で、1934年から1939年の間ウイルヘルム・ライヒから学んでいます。しかし私のセラピーは純粋に体験に限られていたので、ライヒ派の概念を知ったのはオーラ・ラクニーズの分析をやめてかなりの時間を経過したのちでした。とはいってもこれらのセッションの間に私が体験したサイコダイナミックな(心理学的力動)プロセスは、私自身の発達とプロとしての仕事を貫く糸になっていることは確かです。ですからオーラ・ラクニーズをとおしてライヒは、私に大きな影響をあたえました。後に私がライヒの方法と考えについて理解できたのは、ラクニーズの人格と倫理原理によるものと思っています。
最終試験を受けたのちに私は理学療法士の資格を取り、アーデル・ブロー・ハンセンと故T.ブラトイ博士の理論と方法にかかわることになりました。この中で私ははじめて筋肉の鎧理論を知ることになりますが、これは私が学んだベジェトセラピスト(ライヒ派のセラピーの一つで、主に自律神経を扱う)とは全く異なる視点を持っていました。まず第一点は、ブラアトイ博士は心も広く創造的な人物でしたが、従来の心理療法家だったことです。彼は多少ライヒの考えに影響を受けてはいましたが、自分の意見とアプローチを堅持していたのです。彼は筋肉へのマッサージは心理分析アプローチへの付加、追加要素とみなしており、精神科のクリニックで理学療法のチーフ、アーデル・ブロー・ハンセンと緊密な連絡を取ってワークをしていました。しかし二人の共同は、ハンセンが偶然に、あるクライアントたちの間で筋肉への施術を行うと情動反射が起きることを発見するまでは機械的な活動でした。ふたりはこの現象を更に詳細にみていく中で、自分たちが扱う患者はさまざま異なる筋肉の苦痛や心身症の症状を見せてはいても、皆がすべて同じ筋肉の緊張パターンを持っていることを発見しました。これらの緊張を着く主なマッサージ方法で施術すると、深い呼吸の開放が起き、続いて情動が激しくわき起こりました。ブラアトイ博士はこの現象を「びっくり反射パターン」となずけたものと関連付け、びっくり反射パターンを緩め解放する中でアーデル・ブロー・ハンセンの理学療法はダイナミックなものになっていきます。
びっくり反射パターンの説明に当たりブラアトイ博士は拳銃の発射に対する身体反応を例に挙げています。からだは収縮して固まり、屈筋が伸筋を支配し、息は吸い込んだ状態で止まります。このパターンは日常生活のちょっとしたストレスから、幼少期の劇的な体験、戦争や事故などの重大事態などあらゆるトラウマ状況で見ることができます。通常はびっくり反射の原因となった状況が経過すると体は以前の、屈筋と伸筋のあいだでよりバランスのとれた状態にもどるものです。ところが多くの場合、そうはなりません。呼び起された不安や強い感情が十分に放出される、あるいは対処されることがないからです。そこで人はバランスを欠き、「宙吊り」のままになります。もともとのストレス状況に今も対応しているかのように、屈筋が緩まないのです。
びっくり反射パターンを緩め解除するテクニックには特殊なマッサージの形をつかい、腹部(おなか)の呼吸と開放を呼び起こすことを目的にしています。アーデル・ブロー・ハンセンが教えて使っていたのは、緊張した骨格筋に小さな、触覚性ショックインパルスを施すことでした。そして体験上の学びから、時間をかけて呼びさまされた腹部の呼吸が反応するチャンスを待ちました。長時間の臨床観察に基づいた原理は、人為的に呼吸の抑制を長引かせると、筋肉は短縮が慢性化する以前に持っていた一貫した、ノーマルな状態の戻るというものです。このようにしてアーデル・ブロー・ハンセンは生命体が、自然な呼吸を阻害し、体がリラックスするのを許さなかった抑制を解くことに成功しました。このダイナミックな状態が生まれると下にある感情の層が『成熟し』、解除反応が利用できます。次に精神科の医者が分析の時間でこの解除反応を扱えばいいのです。異なる骨格筋のいろいろな部位にこの方法を繰り返し使っていると、姿勢の変化が起きるのです。
びっくり反射パターンは筋肉の鎧のパターンに相当するものです。内臓の鎧とそれが複合筋肉グループと骨格筋の緊張によって抑制されている事を知れば、呼吸の防衛システムを長引かせて内臓と情動の反応を誘発する方法が理解できます。
フロイト派の心理療法家として心理運動リラクセーション(緊張へのマッサージ)のワークを始めたころ、私はマッサージのテクニックを使ってからだの心理分析をしていました。筋肉に働きかけて緊張と抑圧された呼吸を緩めていると、泣くとか激しい怒りを感じるなど解除反応が誘発され、更に幼少期のトラウマ状況が再体験されることを発見し、心を奪われました。これは今ではさほど珍しいことではありませんが、当時の私にはまったく新しいことでした。また、震え、吐き気、めまい、などの自律神経的な反応がつよくおきることもあれば、胃に痛みの反応が出たり、急性の下痢、インフルエンザ、頭痛の発作が起きることもありました。最初私は心配になり、アーデル・ハンセンに相談しました。施術と症状を自分で体験し、さらにアーデル・ハンセンが保証してくれたおかげで、これらの反応になれて、興奮さえするようになりました。そしてこれらの反応がセラピーのプロセスと神経症の解消にとって有益であると考えるようになりました。
私が身に付けた心理運動リラクセーション(緊張へのマッサージ)はダイナミックな理学療法の理解へと目を向けさせてくれました。ほかの施術方法をたくさん体験した今でも、劇的な姿勢の変化を起こす力としては最も直接的なアプローチであると考えています。あとでも話しますが、この強力な効果はまた変化があまりにも急速に起きてしまう可能性を考えると、禁忌でもありました。施術の結果、急性の肺炎、他の臓器、腺の炎症が起きた症例を耳にしたことがありました。この方法の適用についてはアーデル・ブロー・ハンセンが厳重な警告をし、注意をしていたのでこのような反応が起きることは希でした。からだに働きかえる様々な方法を探っている間にハンセンの施術法を使うことはなくなりました。しかし今、内臓の調整メカニズム(心理腸蠕動)を識別しそれに応じたテクニックを開発、発展させたので自分のワークと教育の中に緊張した筋肉へのマッサージテクニックを統合していきました。
内臓の鎧へのアプローチ
心理運動リラクセーション(緊張へのマッサージ)のトレーニングを終了し、個人セッションを開始した時には、筋肉の防衛パターン、つまり緊張性の骨格筋だけに関心を持っていました。教えられた通りに体の部位に順を追ってマッサージを行いました。それから数年は私のクライアントは皆、実際に古典的なびっくり反射の症状と筋肉の鎧を見せていました。解除反応はすべて、呼吸の開放、自律神経の反応、姿勢の変化というよく知られているパターンの後に起きました。ですから骨格筋が緩む限り、患者は神経症を乗り越えることができると私は単純に考えていました。(これは今でも多くのネオライヒ派のセラピストが持っている考えです)次にボーダーラインとみなされる患者を引き受けることになりました。驚いたことにかれらの多くは弛緩し緊張のない筋肉をしています。明らかに情動性のびっくり反射パターンの影響をいまもって受けているにもかかわらず、ほとんどだれも筋肉の鎧をからだに持っていないのです。マッサージをする、あるいは何らかの方法で呼吸を刺激すると、不安や神経症的緊張がまして、施術に対して非常にネガティブな反応を示しました。私はマッサージをやめてしばらくはセッションを心理分析に限定しました。心理運動リラクセーション(緊張へのマッサージ)を開始以来初めて、セラピーのなかでボディアプローチをすることの限界と危険性を体験しました。これらの患者が抱えているのは筋肉の鎧の問題ではなく、鎧が欠如しているという問題です。彼らが持っているわずかな弱い防衛メカニズムを取り去れば、病気になる、あるいはコントロールを失います。以来、私の神経症のセラピーに関する考えは、身体的で目に見える表現に焦点当てることから離れて、もっと自律神経的方向を持ったアプローチに向かい、精神病理にある内面の目に見えないプロセスを探し始めました。
そして次の疑問に心を奪われていました。私たちは皆、ショックやトラウマに受けやすいにもかかわらず、慢性的なびっくり反射パターンを発症する人と、同様の状況に置かれてもあまり影響を受けないように見える人がいる理由は何かということでした。中にはからだが無言のうちに緊張を除去しているように見えるケースもあれば、筋肉の痛み、心身症、神経症、そして精神病を発病するケースもあります。繰り返し私は、ストレスや緊張に対処し、それを解消できる人と、その犠牲になる人がいる理由をといかけました。
何年も、分析や臨床の中で考え続け、精神(プシケ)にある複雑な自律神経のプロセスをまざまざと観察する機会に巡り合いました。まずはそれを分かりやすい方法で説明したいと思います。
実際に、フラストレーションを内面の調和(自律神経に関するもの)で対処する能力を持つ人がいる現象から、生命体に備わる「セルフレギュレーション、自己調整力」のプロセスの可能性に目を向けました。セルフレギュレーション(自己調整力)についてはライヒも強い関心を示していましたが、私は情動の解除反応のほかにもっと微細なメカニズムがかかわっているのではないかという仮説に行きつきました。いまだ解明されていない、神経症の緊張を生理学的に放出するプロセスがあるのではないかという仮説です。抑制情動は解除する必要があると考えると同時に、体の調整、適合メカニズムに大切な何かが潜んでいると思ったのです。フラストレーションを覚えるごとにそれを解除しなければならない、あるいは自分が抑えている衝動が自然に浮上するごとに怒りにふれていれば、私たちはまるでロボットです。抑圧された感情が、しばしば記憶や感情表現を全く伴わずに、自律神経の反応で解除されるのを目にしました。更に施術に最もいい反応を示す患者には、自律神経の反応が最も強く表れることにも気がつきました。特に長い病歴を抱え精神分析の手法では治癒できないでいた不安神経症の患者でした。自律神経の反応が蓄積されるにつれ、これらの患者は徐々に快方に向かいました。
患者の中には施術に対して下痢や胃腸の反応など、爆発的放出(ディスチャージ)で反応する人もいました。急性不安に苦しむ一人の患者の場合、セッションの後、決まって3日連続下痢になり、その次の週には吐き気と程度に差があるコリック(疝痛)に交互に襲われたことを覚えています。彼女の自律神経のエネルギーが再びバランスを取り感情のコントロールができるようになるまで、神経性のエネルギーが「体から流れ出る」必要があったのです。私には神経性のエネルギーがいっぱいに詰まった袋が、徐々に空になっていくように見えました。「空にする」プロセスから思いついたのは物理とエネルギーの考えです。被包性の結核で包みが破れてバクテリアあるいは病気が命を吹き返し、機能し始めるように、からだは筋肉緊張の層の内側に、大量の情動エネルギーをため込んでいるように見えました。
そこで私は下痢が単に体の心理力動(サイコダイナミック)の反応ではなく、解除反応にもなっているという結論に達しました。既にわたしは生物学と力動的にみていこうと考えていたのです。戦場の戦士や、恐怖を感じている人はよく急性の下痢に襲われます。これは神経性のエネルギーと体液が爆発的に解除反応したもので食べた内容によるものではありません。動物もナーバスになると同様の反応を示すことを知っていました。
しばらくはこの考えに心をくだき、ついに私は神経性のエネルギーの放出のために腸の解除メカニズムが必要であるならば、下痢だけがその解放の方法ではないという仮説にたどり着きました。たとえばもっとマイルドな腸の収縮である腸の蠕動運動など、より微細な放出と処理のメカニズムがあるはずです。それが正しいことが分かり、それを勧めていくうちに腸の蠕動運動が情動の状態と密接に関連しておりここにアプローチすれば抑圧感情の内容に影響を与えることができることが分かりました。
この理論は極めて新しいもので、今もって精神医学、心身症医学の最新の研究がこの考えにいたらず、セラピーや治療に利用していない実態に驚いています。私は自然、本質の単純性に驚きこの理論から導き出されたマッサージ法は同じようにシンプルなものになりました。それは非常に基本的なタッチで構成されています。母親が子供をなだめるようになでる、困っている友人を慰めようとして自然に愛撫する時の、つまり腸の放出活動を刺激する基本的で自然なストロークなどのタッチです。
この理論をもう少し詳しく説明し、生理学の事実の上に位置づけてみようと思います。通常、腸の収縮は消化のプロセスと関連付けられていますが、腸の蠕動運動は情動と自律神経系に深く影響することも証明されています。パブロフは普通の消化機能を持っている犬が、部屋に猫が入ると腸が痙攣することを証明しました。私たちも恐怖、その他の強い感情、過敏、活動過多などの際に腸が痙攣(さしこみ、激しい腹痛)することがあります。他方、リラックスすると腸もリラックスして消化活動が再開します。(これは交感神経と副交感神経系に関連しています。)健康で葛藤がない状態のときには私たちはリラックセーションプロセスの中で余剰エネルギーと緊張を放出します。腸の蠕動運動を発見した直後、平滑筋の活動にかんするセテクリーブ博士(オスロ大学、ヨハネス・セテクリーブ)の研究から、腸の収縮の原因には二種類の刺激があり、一つは消化液、もう一つが腸壁の水圧(拡張圧)による刺激であることを知りました。これは医学界ではまだ知られていない機能です。私の考えでは、拡張圧は神経性の液体と、腸の自発的収縮は神経性の内容を放出する実際のプロセスと関連していると思います。いいかえれば、腸の蠕動運動の「未知の機能」は腸の鎧をリラックスして解消する生命力動のプロセスで、消化管にある葛藤を緩め放出します。内臓筋の持つ対立システムを理解した今、私は放出のプロセスと、それに続く心理腸蠕動への施術に関して仮説を立てることができるようになりました。
腸管内の単体筋肉システムの自発的な流れを徐々に起動することで複合筋肉の緊張が解消され本来の自律神経の衝動が再び姿を表します。そこでセラピーの中では、共同作業と相互関係というシステムの二つの機能に働きかけています。この発見で私はブラアトイ博士に導かれて追求してきた自分のゴールにたどり着きました。「筋肉をとおして内臓そして腸に影響をあたえることができれば、もっとも真の方法で神経症をも治癒することができる」といっています。
しかし腸内の複合システムは随意筋と意識的コントロールに関係し、適応的価値システムを持っているので、理論を討論する際には内臓の緊張を単にネガティブなモノとしてだけみなすことをやめなければなりません。感情のコントロールは人にとって必要なモノです。その自然な働きが障害されたときにだけ、葛藤を生み出すネガティブな潜在要素、秘められた感情になるのです。
ポジティブな見地から言えば、内臓の鎧は加減、調整のメカニズムです。緊急時にはリラックスする時間がありません。というのもエネルギーの働きを生産、保存、適用するためには内臓の緊張を必要とするからです。葛藤がない状態では両システムは並行して良好な協力関係で働きます。自律神経の反応が意識と無意識の検閲で葛藤状態になり、衝動に混乱が起きた時にだけ、神経症が発生するのです。これはトラウマやショックといったストレスが深刻な状況でも発生します。
生命体をエネルギーの観点から見て、情動反応の機能を考えるときに、体に高い神経性のエネルギー(アドレナリンの液体)がチャージされ、感情が高まった状況や危機に効果的に対処できることは必要です。神経性のエネルギーを除去する生理的放出のメカニズムが存在するからと言って、それが強い感情を伴う状況や緊急時にも働くのは困りものです。そうなれば生存に必要な貴重な神経性のエネルギーが体から奪われてしまいます。命にかかわる状況で、下痢が起きる例に戻って考えてみましょう。不安を作りだすものが除去されると同時にエネルギーの供給も放出されます。ですから当人は体力を消耗して、生存のために行動する力を失います。ですから「開放(オープン)」システム腸システムを伴う身体活動がまず起こらなければなりません。次に、たとえば怒りが去った時に、人はリラックスして自律神経の放出が「開放(オープン)」システムの中で起きるのです。
私が学んだ「心理腸蠕動の調整」原理は、セラピーの中でも働いています。クライアントが緊張しすぎている、あるいはチャージが高すぎるときには腸蠕動は閉じていて、聴診器で音を聞くことができません。そこでマッサージやタッチ刺激アプローチで、自律神経系に働きかけて、穏やかでリラックスした状態を作り出す必要があります。のどにエネルギーが集中しているときには、声を出すことでその状態に取り組みます。定期的にセラピーを受けていたあるクライアントの話を例にとります。普通彼女はカウチに横たわるとすぐに、オープンシステムになります。ところがある日、腸蠕動反応が聞こえず、「開放(オープン)」システムを刺激しようと努力しても、閉じたままでした。ついに彼女は「きょうは、どうしてうまくいかないか分かっているの。心に重荷があって、話してそれを外に出さないといけないの」と言いました。そして昨夜夫が愛人と外出したのではないかと疑って、夫に対する苛立ちと怒りを口にしました。情動のサイクルを終えて、いらだち、怒り、嫉妬、心の痛みを表現すると、彼女はカウチに寝て「今度はうまくいくでしょう」と言いました。確かにそうでした。感情にしがみついていた腸の収縮が、感情を話すことで溶けて放出され、「未処理の情動」が腸蠕動の波で溶けて腹音の流れが生まれました。
これは心理腸蠕動の放出と情動との関係をまざまざと体験した症例の一つです。機械的に考えを話す、あるいはそれに感情やチャージが伴わないケースとは対照的に、問題を話すときに感情があふれ出す多くのケースでは、自律神経のマッサージで刺激するのと同じ放出のプロセスが腸の中に起きます。これは納得のいく事です。苦しい、あるいはとてもうれしい出来事を情動的に、話し、シェアし、外に出すことはからだにある神経性の、あるいは余剰のエネルギーを放出する自然な方法ですから。それが起きるために特別なセラピーや治療、施術は必要ないはずです。しかし私たちの文化では、情動を抑え込み、否定することで自分自身をそして他人を欺いているので、自然で有機体に備わる放出のプロセスがブロックされ、抑制されることが多いのです。
しかし衝動が抑え込まれて実現化してない場合でさえも、腸がリラックスしたり、衝撃や余剰のエネルギーを「消化」することは可能です。感情に葛藤がない場合には抑え込みは一時的です。外側の、骨格筋の鎧が緩み、横隔膜がリラックスし、呼吸が深まります。すると単体筋への複合筋の支配(つかみ、グリップ)がゆるみないぞうのよろいがとけて、心理腸蠕動の放出が始まります。複合筋の収縮が慢性的になり、葛藤が対抗的な衝動を伴って今もなお存在して、アクティブにコントロールを効かせているときに限り、腸の適正化、緩和メカニズムが鎧になり、慢性的な閉鎖が起きるのです。
組織の鎧の概念
私は神経症を、組織の中にある不純物としてみなすようになりました。組織には、正常な循環や代謝を阻害する毒性産物が含まれます。当初それが不十分な血流と静脈輸送(venous transport)によるものと考えていましたが、体に起きる多くの説明できない感覚と流れから私は、循環している力のことを考え、ライヒの植物神経の流れ(vegetative streamings)とオルゴン・エネルギーの理論をとりこみ始めました。また独自に形而上学に源をもつリビドー力動に関しても同様の結論にたどり着きました。最近15年は、病理と健康に関する生命(バイオ)エネルギーの兆候に関して補完的推定理論を持っています。
バイオダイナミック心理学は現在、すべての生命体には生命(バイオ)エネルギーが存在するという原理にも続いてワークをします。この生命(バイオ)エネルギーは地球上のすべての生物に命と活力だけではなくて、生きている快楽と幸福感、満足を与えてくれます。生命(バイオ)エネルギーは循環しながら、内面の信頼感と楽観を与えます。これは常に環境、周りの状況に左右される幸福感、満足、つまり依存性の幸福感、満足とは対照的に、一時的人格にある自立した幸福感、満足と呼べるものです。「大洋の波」について心理学的な文脈で話す概念と関連しているもので、私はこれを文字通り全ての生物が宇宙エネルギーから受け取る生命供給源、ライヒの言う「宇宙の海」を指すものと考えます。この宇宙エネルギーが生きとし生きる細胞のすべてに脈動(パルセーション)を生み、これが内臓そしてその他すべての生体組織に存在しています。しかし筋肉と内臓の鎧が抑制を維持し自発的な自然発生性を阻害しているように、組織にも鎧つまり浸潤があり、これが生理、心理、スピリチュアルの面で正常な循環とホメオスターシスを傷害しています。
私の見るところ組織の鎧は、興奮状態で筋肉に放出され、中和した形で結合組織と消化コンプレクス(錯体、複合)に潜在的な内臓力動としてため込まれた、ホルモン性の液体(特にアドレナリン、性ホルモン、乳酸)が放出(ディスチャージ)されない結果だと思います。このように考えると内臓のプレッシャー(圧)は、精神病、心身症の症状、神経の緊張という形を取ることもありますが、体に本来備わる治癒力であり、それが組織のバリアを突き破り、情動的ホルモン性の充満を解放し、自然な生命(バイオ)エネルギーの循環を可能にしようとする努力見ることができます。今の文明がどれほど、腎臓皮質からのアドレナリン液による交感神経性ストレスに苦しんでいるかを考えるとき、生命体がホルモンの「過剰な重荷」を負っていることが分かります。この過剰な重荷とはフロイトの「未処理の情動」と、そしてライヒの「性的停滞」と深く関連しています。生命体からこの停滞を「排除し、からにする」という考えは実に理にかなったものです。腸蠕動箱の余剰分を放出するだけではなく、適切なエネルギー循環を刺激します。ですから私は腸という器官を発生器メカニズムとみており、リラックスして、葛藤のない状態では、細胞と組織で生命エネルギーが十分な機能を果たすことができると考えます。
組織の鎧を浄化すれば、組織は再び本来自然に備わる弾力性を回復します。それで、自己実現と自己拡大が可能になるのです。ねじ曲がり、制限を抱えた人格が、自分の中にある真の感受性に触れ、独自性と潜在的な可能性に開いていきます。
ネオライヒアンのセラピストの中にはバイオエネルギーを「宇宙エネルギー」とみなすことに抵抗する人がいることもよく知っています。(漢方では気、インド哲学ではプラーナ)どのような名前で呼ばれようとも、これは真剣に取り入れるべき現象だと思います。
神経症の歴史を理論的に討論する中で興味深いことがあります。それは古代においては、ヒポクラテスもプラトンなどの哲学者もともに、従来型の心理分析家や今日の精神科医よりも神経症を、はるかに形而上的に理解していた事実です。彼らは神経症や精神疾患を研究し、そこにバイオエネルギーの原理を取り入れていました。ですからライヒの科学と彼のオルゴンエネルギー理論を喜んで受け入れたことでしょう。フロイトなどを困惑させたのは、心理的抑圧の形を取る神経症ではなかったことは周知のことです。「ヒステリー」、不安神経症、心身症の症状など、説明できないケースをめぐり常に議論が戦わされていたからです。エネルギー現象が障害要素であるという仮説が一般に言われていました。事実、フロイトの初期の記述は、エネルギー原理とリビドー力動に基づいており、そこからライヒはベジェトセラピーの基礎を作り上げたのですから。現代の科学では、このエネルギーはバイオプラズマエネルギーとして認識されており、私としてはオルゴノミー(オルゴンエネルギーを扱う科学)が精神医学や医学界で真剣に考慮されることを願っています。
私は内臓の鎧および、腸内にバイオエネルギーの調整器と発生器があるという理論により、神経症の考察に貢献したと考えています。
参考文献
1.セテクリーブ(Setekleive,J):平滑筋の自発的、律動的な活動、
T.Norske Legeforen 1964年.84,p1623-1626
2.ゲルダ・ボイスン、モナリザ・ボイスン:バイオダイナミック心理学の基本、パート1、
「エナジーアンドキャラクター」(自発運動と内臓の鎧:1997年Vol.8 No.1.P.40)
(文責:国永史子)